オスカーデラレンタ追悼 ジョージクルーニー氏のお相手のドレスデザイナー [セレブ(ざっくり)]
10月20日、アメリカを代表するデザイナーの一人、
オスカー・デラレンタ氏が死去したとのことで、追悼記事を書きたいと思います。
オスカー デラレンタ
Oscar De la Renta
Óscar Arístides Renta Fiallo
オスカーデラレンタといえば、日本ではあまり知られていないかもしれませんが、
最近ではジョージクルーニーさんの奥様、
アマル・アラムディンさんのウェディングドレスを手がけたことで、
日本でも知名度が上がったのではないかと思います。
プラダを着た悪魔の有名なシーン。
大手ファッション誌の編集長秘書として働き始めたファッションに無頓着なアンディは、
こっちのベルトにしようかしら、こっちがいいかしら、とみんなが悩んでいる様子を見て吹き出してしまいます。
それを見た編集長ミランダが、「なにかおかしいかしら?」と聞くシーン。
怖いw
この際のミランダのセリフにオスカー・デラレンタが登場します。
「あなたが今日クローゼットから選んだその冴えないブルーのセーター、
それはちなみにただのブルーではなくて、セルリアンブルーというのよ」
こ、怖いwww
「そしたあなたは全く知らないでしょうけど2002年に
オスカー・デラレンタがコレクションでセルリアンブルーのガウンを発表して・・・」
と続くわけです。
クラシックかつエレガントなデザインをする数少ない大御所デザイナーの一人がこの世を去ったのは悲しいですね。
1932年7月22日生まれ
かに座
HP:http://www.oscardelarenta.com/
スペイン系の母とプエルトリコ系の父の元、7人兄弟の末っ子(男の子はオスカーのみ)としてドミニカ共和国のサント・ドミンゴに生まれます。
ファッションに携わるようになったのは19歳の頃。
当時スペイン、マドリッドで絵画を学んでいたオスカーは、日銭を稼ぐため新聞やメゾンのために洋服の絵を描くようになります。
その絵が在スペインアメリカ大使の妻でありイタリア出身のダンサー&女優でもあるフランチェスカ・ロッジの目に留まり、オスカーに娘のガウンをデザインするよう依頼。
それがLife誌の表紙に登場、本格的にファッションの道へ。
数々のメジャーなスペインブランドの服の下絵を書くようになり、すぐにスペインで最も有名なクチュリエといわれるバレンシアガをも担当。
デラレンタ自身も、クリストバル・バレンシアガをメンターと仰いでいます。
1961年、デラレンタはランバンのアントニオ・デル・カスティーヨのクチュールアシスタントとしてパリへ。
1963年、既製服産業を経験したいと考えたオスカーは、VOGUE編集長ダイアナ・ヴリーランドの助言によりNYのエリザベス・アーデンの元で働き始める。
1965年、ジェーン・ダービーの元で自身のレーベルを発表、同年ダービーが死去すると、デラレンタはレーベルを引き継ぎます。
1993年から2002年までデラレンタはバルマンでオートクチュールを担当。
フランスのクチュールメゾンで初のドミニカ出身デザイナーとなります。
2006年、ブライダルへ参入。
セレブリティがこぞってデラレンタを着用、数々の賞を受賞し、現在の地位を不動のものに。
がんが発覚したのは2006年。
翌年のアメリカファッションデザイナーカウンシル(CFDA)でのスピーチでがんを告白します。
「私はがんです。今、私はまったくクリーンな状態です。
人生でただ一つ明らかなことは、私たちは生まれ、死ぬということ。普段私たちは永遠に生きられると考えがちで、死というものは受け入れがたい。
こういった警告のようなものを受け取ると、どれだけ毎日が感謝すべきものかわかるのだ」
82歳といえば大往生かもしれません。
ですが、やはりファッション業界の偉大な存在がまたひとつ失われたと、悲しみを感じるのを禁じ得ません。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。